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2010年6月27日 (日)

自然体であること ~白川義員さんに思う

私が尊敬する写真家のひとり、白川義員(しらかわよしかず)さん。

地球規模の壮大な自然を撮る、世界的にも有名な写真家です。
白川義員さんの写真は主に山や滝など、地球がつくりあげた造形美を
壮大かつ荘厳に撮ったもので、美しさを超越して神々しさを感じさせる
たいへんすばらしい写真です。

先日、白川義員さんが7年の歳月を費やして2002年に完成させた
山岳写真集「世界百名山」の制作ドキュメンタリー番組を見ました。

「世界百名山」ですから、中には標高8千メートルを超える山々もあり、
それらを空中から撮影するというのは、並大抵の仕事ではありません。
1935年生まれの白川さんが、酸素マスクを着けながら大判カメラを抱え、
エベレストやカラコルムの山々の空中撮影に臨むその姿には、「尊敬」
という言葉でもまだ足らない畏敬の念を禁じえませんでした、

しかし、山と向き合う白川さんは淡々としていたのが印象的でした。

撮影している時の白川さんの、目の前に繰り広げられる大地と光の美に
真正面から向き合いながら、銀塩フィルムに記録を取っていく姿には
「気負い」といったものが感じらません。

大自然の光景と対峙する、という感じではなく…
大自然の光景を全身でしなやかに受け止めながら、自分の眼に映った
壮大な光景を、レンズという「もうひとつの眼」を通してフィルムに
写しこんでいる、という感じなのです。

ありふれた表現かもしれませんが、そんな白川さんの姿には、まさに
「自然体」という表現が相応しいように思えました。

白川さんと私を比較するなど、おそれ多いことなのですが…

動物を相手に写真を撮っている私も、「自然体で光景を受け容れる」
ことを信条にしています。出会った光景に抵抗をせず、誇張をせず、
自分がその光景の中に置かれ、感じたことをそのまま表現したい…と
思いながら写真を撮っています。

Ke07110001_07
自分が感じたことをそのまま表現する…それは難しいことなのですが。
(早暁のフラミンゴ ケニア・ナクル湖国立公園)

正直に言えば、ケニアのサバンナで写真を撮り始めた頃は、美しい写真、
迫力ある写真を撮ろうと頑張っていました。

美しい光景と出会ったときは、アタマの中にタイトルみたいなものを
思い浮かべながら、シャッターを切っていたものです。
また、動物と出会っても「撮る動物」「撮らない動物」を選り好みして
自分のイメージに合う動物しか狙っていませんでした。

でも…そうやって撮った写真には、なぜか「チカラ」がない。
とってもキレイな色や構図だけど、ただそれだけ。時間が経って改めて
見てみると、「なんでこの写真を撮ったのかなぁ」という写真ばかり…。

そうした「どうして?」を何度も繰り返し、納得がいかず悔しい思いを
何度もしていくうちに…私は自分自身の愚かさに気付きました。

「出会った光景に、自分の思い込みを入れてどうする?」

出会った光景は、もう二度と出会うことができない一瞬。
その瞬間を大切にして、与えられたチャンスの中で自分が感じた一瞬の
思いを、そのまま素直にフレームの中に写しこむことが大切だと。

Dsc_8846
いま出会った光景は、もう二度と出会うことはできないのですから…
(アフリカゾウの家族 ケニア・サンブール国立保護区)

たとえ凡庸に見える光景であっても、いま目の前に広がっている光景は
ひとつの光景に過ぎない。そうした光景の連続の中に、胸を打つような
美しい光景が現れる「一瞬」が必ずある…

そう考ると、自然の中で「光景を選ぶ」などというのは畏れ多い話で、
むしろ大切なのは「選ぶ眼」ではなく「一瞬を感じ取る心」なのではないか、
と思うのです。

そしてその「感じ取る心」とは、光景に挑んで得られるものではなく、
目の前に広がる光景を自然体で受け容れ、連続する一瞬一瞬の延長
線上に自分の身を置くことから得られるものだ、と思うのです。

07k021_35
写真は「作り出すもの」ではなく「感じ取るもの」だと思います。
(夕陽の中のマサイキリン ケニア・マサイマラ国立保護区) 

白川義員さんの写真には、唖然とするほどのスケール感があります。
そうした写真を撮り続ける背景には…

 地球は悠久無限の宇宙にあって芥子粒のごとき一点の存在だ。
 人類はこの一点の命である宇宙船地球号に乗り合わせていることを
 心底認識したら、民族紛争や国境紛争や戦争そのものが馬鹿らしく
 なりはしないか、そこまで思いが到るほどの写真が撮れないか?

という思いがあるそうです。

そもそも、その壮大なスケールの「思い」自体にも敬服しますが、
その思いが「地球がつくりあげた造形美」にまで昇華し、これまで
誰もがきっと眼にすることができなかった美しい光景と出会っても、
「自然体で光景と向き合う」ことを失わずに淡々と撮り続けてきた
白川さんの姿勢に、私は敬服せざるを得ません。

そんな白川さんのドキュメンタリー番組を見ながら…

サバンナでヒョウと出会うと、我を忘れて無我夢中でシャッターを
切ってしまう自分を思い起こし、「あー、まだまだだなぁ…」と
思ってしまうのでした。

D30_1663
まだまだ、修行が足らんねぇ、だいぴんさん。
(お昼寝ヒョウ ケニア・マサイマラ国立保護区)

ポレポレですが、少しでも白川義員さんの「自然体」に近付くべく、
もっともっと写真を撮って修行をしたいと思います。

polepole

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